東京高等裁判所 昭和30年(う)1433号 判決 1955年10月17日
控訴人 被告人 野町兼
弁護人 向江璋悦 他一名
検察官 八木新治
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月及び罰金一万円に処する。
右罰金を完納することのできないときは、金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。但し、本裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
押収にかかる覚せい剤注射液四立方糎アンプル入二百二十九本(昭和三十年当庁押第四九九号)は、これを没収する。
原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人向江璋悦及び同安西義明作成名義の控訴趣意書、被告本人作成名義の控訴趣意書にそれぞれ記載のとおりであるので、ここにこれらを引用し、以下これらについて判断する。
弁護人論旨第二点及び第三点
昭和二十九年六月十二日法律第百七十七号により改正された覚せい剤取締法第四十一条第四項(以下旧法と略称する。)又は昭和三十年八月二十日法律第百七十一号により改正された同法第四十一条の二(以下新法と略称する。)にいわゆる営利の目的とは、同法が例えば覚せい剤の不法所持について、単純な不法所持、営利の目的をもつてする不法所持、常習としての不法所持と三段階に区別してその犯罪構成要件を定めている点、あるいは、営業という字句を使用していない点等を参酌して考察するときは、単に財産上の利益を得る目的を指称し、常に必ずしも、所論のように営業的利益換言すれば反覆継続的に利益を得る目的を必要とするものではないと解するのが相当である。今本件において原判決挙示の証拠によれば、原判示犯罪事実を肯認するに十分である。すなわち、被告人が本件覚せい剤を不法に所持したのは、右証拠特に被告人の検察官に対する供述調書によれば金城なるものが千円位御礼をするからといつたのでその御礼が欲しさに、この判示覚せい剤を預つて売先を探しに出かけたためのものであることが明らかであるから、この事実たるや正しく冒頭掲記の意味において被告人が営利の目的をもつて覚せい剤を不法に所持したものと認められるのである。而して記録を精査検討するに、所論供述調書の任意性が認められることについては前論旨において説明したとおりであつて、原判決の右事実認定には何らの過誤あることを発見できないし、又事実認定として右の如くならば、原判示法条違反の罪を構成するや勿論であつて原判決には法令の適用の誤も存しない。この点に関する所論は要するに前記法条の営利の目的の意味について独自の見解を展開しこれによつて原判決の正当な事実認定並びに法令の適用を攻撃するに過ぎない。論旨はいずれも理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 工藤慎吉 判事 渡辺辰吉 判事 江碕太郎)
控訴趣意
第二点原判決は、被告人は法定の除外事由がないのに「営利の目的」を以てヒロポンを所持していたものと認定しているのであるが右は明かに事実を誤認したものであつて破棄を免れない。
被告人がヒロポンを所持していたことについては争わないが、原判決に摘示された証拠を以つてしても被告人に営利の目的があつたと認めることはできない。(一)原審判決に示された証拠の内、営利の目的を以て所持していたという事実を認定した証拠は被告人の原審公廷における供述及検察官司法警察員の各供述調書であることは明らかである。しかるに被告人の原審公廷における供述では「営利の目的で持つていたものではない」(記録十丁)と述べており、又「売つたらお札をやると金城はいいましたが、飛んでもないと断つた」(三九丁)「礼を貰うつもりではありませんでした」(三九丁)と供述している。(二)しかし一方には司法警察員及検察官の調書には之に反する記載がある。よつてまず司法警察員の調書を検するに、「金城は一本六、七十円に売ればお叔母さん千円位になるといつた。私は代金は渡していない」(五十丁)旨しか記載されていない。右調書によると金城は単に被告人に対し千円位になるといつただけで、之に対し被告人が何と答え、又何を考えたかは明らかにされていない。同様のことは昭和三十年二月二十八日附検察官調書についてもいえる。即ち「金城に頼まれて千円位をするからというので売りに行つた」(五六丁)とあるだけで、礼をうけるつもりであつたか否かは明らかにされていない。一般には「礼をするから」といわれ、そしてヒロポンをあずかれば礼をうる目的でヒロポンをあずかつたと推定しえないことはないが、もし被告人においてこの場合、「礼はいらない」とことわつたり又は、営利の目的がないとみとめられる他の挙動があるならば被告人の主観的意思には営利の目的がなかつたものといわねばならない。本件においては、被告人は「売つたらお礼をやると金城がいいましたが、とんでもないと断つた」(三九丁)と述べているのである。従つて金城が千円位やるといつたことは事実であろうが、それにつづいて被告人は之を絶つているのであるから被告人には営利の目的はなかつたといわねばならず右の調書から直ちに被告人に営利の目的ありと断ずる訳には行かないのである。(三)次に昭和二十九年十二月二十九日附検察官作成にかかる被告人の供述調書によれば、「千円位呉れるというので、それが欲しさに覚せい剤を扱つてはいけないことは知つていたが、あずかつて売りに行つた」(五四丁)旨の供述があるが、前二通の調書と比較してみるとその内容において大なる差があり、この一本の調書のみによつて営利の目的を認定しうるかは大いに疑問である。即ち(イ)前述(第一点)の如く、右調書の任意性が疑はれるばかりでなく(ロ)仮りに任意性あり従つて証拠能力ありとするも、その信憑力の点について疑問がある。蓋し前二通の調書とちがうのは「それが欲しさに」という一句だけが入つている点である。前二者の調書には見当らない句である。果して警察での取調べの時、又十二月二十九日より後である二月二十八日の検察官の取調べの時、見出しえない言葉が、この時にかぎつてはじめてのべられたと見るべきであろうか。疑問なしとしない所である。又なぜ千円位のはした金に被告人は目がくらんだのか、調書にはそれらの点は何とものべられていない。被告人が当時貧困であり又は特に金を必要とする理由があつた訳のものでもない。して見れば当公廷における被告人の供述、そして又前二者の調書と比較判断すれば、十二月二十九日附調書の「それが欲しさに」という一句を直ちに信ずることはできないのである。被告人は当時、金城が小供が病気で困つているということを聞いて(記録三七丁)可哀想に思い何とかしてやりたいと考えた。この同情の心からヒロポンをあずかつたのであつて、それ故に又礼はいらないと絶つたのである。被告人は千円の金がほしさに本件犯行をなしたものではないのである。即ち被告人に営利の目的はなかつたのである。之を要するに原判決摘示の証拠を以てしては、被告人に営利の目的ありと断ずることはできないのである。故に原判決は明かに事実誤認の違法がある。
第三点原判決は右の如く事実誤認の違法があり、ひいては「営利の目的」についての法令の解釈を誤つた違法があるから、当然破棄を免れない。
即ち、(一)営利の目的とは営業上の利益であり、営業である以上反復継続をその概念内容に包含する。営業又は事業については反復行為を必要とすること判例であり、従つて営利とは正に反復によつてうる利得と解さねばならぬ。もつともただ一回の利得であつても反復利得の意思のあるかぎり営利と解しうるであろうが、本件においては被告人に反復利得の目的を以つて所持していたことはいかなる証拠によつても之をみとめない。(二)公判調書によれば「前に客のためにヒロポンをかつてやつたことがある」(三三丁)旨の供述があるが、これは昭和二五年三月頃から昭和二十六年三月頃の間のことであり当時は未だ覚せい剤取締法はなく(本法は昭和二十六年六月三十日制定その後三十日を経て施行せられる。)薬局において販売していたときのことであつて、被告人が従前から常習的に、又は反復してヒロポンの取扱いをなしていた訳ではないし、又利を得ようとする意思があつた訳でもない。(三)又被告人自身ヒロポンを施用していたことはあつたが、(四〇丁)それらはいずれも、客にもらつてしたものである。被告人は当時マーヂャン屋をやつていたので、マーヂャン代請求のため夜おそくまでおきておつて居ねむりなどをしたことから客がくれたものを用いたにすぎない。そしてそれはマーヂャン屋をやつていた昭和二十五年三月頃から昭和二十六年三月頃までの話である。(三)右以外に被告人がヒロポンを取扱つたという証拠はなく、ましてヒロポンによつて利益を得又は得ようとしたことはない。(四)原審公廷において船橋証人が、被告人はあたかもヒロポンを取扱つていたかの様な証言をしているが、その供述内容をつぶさに吟味すれば、却つて被告人にかかる所為がなかつたことが明らかである。従つて原審においても之を証拠に採用しておらない所である。しかし検察官は船橋証人をあげ、又被告人に世田谷署で取調べられたことを追求し、(四一丁及五六丁)暗に被告人が常習的にヒロポン取扱をやつているかの如き印象を与え様としているのである。故にこの点について一言すると、証人船橋は世田谷署で取調べられた時、船橋は被告人がマーヂャン屋をやつていた当時出入りしていた男であり、被告人が客にたのまれてヒロポンを買つてやつたことがあるので、そんなことからヒロポンをあづかつているものと考えられ、警察で誰かヒロポンを持つている人を知つているだろうと聞かれて、自分の仲間の名前を出すとうるさいので、被告人の名前を出した模様である。その証拠には検察官が世田谷署での取調べを追及しながら、之に関する何等の証拠も出しておらない点からも推知しうる所であり、又証人も自己の誤りを公廷で正しておるのである。
以上要するに被告人は反復して販売し以て利益を得ようとする目的を持つてヒロポンを所持したものではないから、被告人には営利の目的なしといわねばならない。然るに原審が法令の解釈を誤り、被告人に「営利の目的」有り、と判断したことは違法である。
(その他の控訴趣意は省略する。)